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視座
あらためて日本国憲法、『立憲主義』をとらえ直す

日赤労働者769号



 第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。(略)

 立憲主義をネットで調べたところ、「広義には国家権力は憲法によって拘束されるべきであるという考え方をいうが、狭義には多数者によっても侵しえないものとしての人権を承認する考え方をいう」とあった。
 近代憲法はこうした立憲主義の精神によってつくられ、国家権力を制限して国民の権利や自由を保障する。だから憲法は個人の人権を守ることを目的とし、それを実現するための統治システム=国家権力の機構を定めたものだ。こうした考え方は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言などに象徴される、17〜18世紀の市民革命の末に獲得したものだ。
 最近『国家は僕らを守らない―愛と自由の憲法論―』(朝日新書)という本を読んだ。著者は田村理という憲法学者である。
 氏はキムタク、サザン、イチロー、パタリロやスッパマン、ゆずなどを事例として引きながら、立憲主義を平易に説き、憲法とは権力に勝手なことをさせないためのもの、そのためには、日本にはびこる「してもらう」主義を指摘し、国民は自立し自由な個人でなければならないと言う。「個人主義」という言葉をめぐる対立と誤解を解きながら、今私たちの社会に必要とされるのは、「個人主義の徹底」だという点も共感できた。
 今年、日本国憲法施行六〇周年を迎えた。今安倍内閣は、「愛国心」は自然な感情といいながらも、公教育で強制しようとし、日本を戦争する国にするための改憲手続き法=国民投票法案もごり押ししてきた。
 著書は、「憲法学のエッセンスをどれほど熱心にといても、学生さんや市民の方々の心には届かない」が、この本を読んだ人たちに、「立憲主義とは一八〇度反対の価値観で憲法や国家=権力や人権をイメージしていることに気づいてもらう」「『クルリン』と音を立てて逆を向く自分を『あ、ホントだ』と笑えるようになってもらう」ことを目標に書いたと述べている。

新しくない 「新しい」憲法観

 自民党は05年、「立憲主義は一つの考え方だ」として、新しい憲法観=国民に義務を課す、「新憲法草案」を発表した。当初の試案の段階では、『国防の責務』が入っていたが一旦削除された。権力者の本音は間違いなくそこにある。
 著者いわく「『改憲潮流』を支えているのは、僕たちのうちにある『古くからの』憲法観だ。『人を簡単に殺せる』国家=権力の危険性への自覚を欠き、言われたとおりにしていれば、国家=権力は僕たちを守ってくれると無防備に信じる、僕たちの憲法観なのだ」とし、「『帝政復古』するのではなく、真に新しい憲法観=立憲主義を選びとるのか」と問いかけている。
 この本の帯「問題は9条だけじゃない。」「国家は必要ではあるが、放置すれば、ろくなことをしない。国家に国民をまもらせるのは、主権者である僕たちの仕事だ。そのために憲法はある。」




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