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日赤労働者766号 |
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長野赤十字上山田病院のなりたちと経過
九年前、当時の長野県更級郡上山田町(現千曲市)にあった国立長野病院は厚労省の方針で統廃合の対象施設とされていました。他に公的病院がない地域であり、病院をなくすなと地元に強い反対運動がおこりました。結果、地元自治体が買い取って日赤が引き受けることになり、長野赤十字上山田病院として出発しました。 医師不足から「閉院」が浮上 ところが、昨年七月一九名いた医師が一五名になってしまい補充ができない事を理由に、病院経営者は、このままでは赤字が増えて経営が困難になると、今年三月にも閉院を含めた対応を取ることを明らかにしました。本院も医師が不足しているため、医師確保は至難と考え、七月には一病棟を閉じ、一五名の看護師を本院に異動させ、一八五床に縮小しました。 たたかいが始まった
全日赤と長野単組・上山田支部は、執行委員会を開き、この地域に他の公的病院がないこと、入院患者八万人、外来患者一〇万人を診療していること、在宅支援や透析もやっていること、そして夜間救急医療も担っていることなどを考えると、公的病院としてなくてはならない病院であり、医師を確保して、病院を存続せよと運動していこうと意思統一しました。その後の経過は次の通りです。 玄関前の署名行動が始まると、患者さんが列をつくって署名してくれ、多くの患者さんや家族が署名用紙を持ち帰りました。署名行動は長野県民の九割が読者の「信濃毎日新聞」と地元ケーブルTVが取り上げ、署名行動が広く知れわたり、署名のためだけに病院へ来る患者さんもいました。病院監査役である元町長が署名を手伝ってくれたり、病院経営者に存続を申し入れました。透析患者さんからは病院玄関前でハンガーストライキをしたいなどの声が寄せられ、署名と一緒に「一言カード」を書いてもらいましたが、病院存続に対して本当に切実な声がたくさん寄せられました。地元商店や周辺の薬局、観光協会、旅館・ホテルなどの協力も積極的で、もしもの時には地域経済に与える影響の大きさを考えさせられました。 「存続させる会」として県議会や市議会に請願患者さんや地域住民との共同の運動が大事ということで、署名運動を通じて知り合った地域の方々や患者さん、地域労連・長野県医労連と一緒に一〇月一一日、「長野赤十字上山田病院を存続させる会」を立ち上げ、運動することになりました。そして、存続させる会として長野県議会に、「医師を確保し地域医療を守るために、特別な手だてをとってほしい」旨の請願を提出し、一七日には村井知事にも会って、二万筆を超える署名を手渡し医師確保を要請しました。また、千曲市や坂城町の議員の方々との相談は議会を動かす大きな力になり、千曲市は議会のなかに、「特別対策委員会」を立ち上げ、そのメンバー八名が大津日赤の志賀病院を訪問し院長と懇談したり、医師確保を厚労省や日赤本社医療事業部にも要請しています。 地域の力を結集して、住民集会の成功へ
二万筆を超える署名が集まるなかで、千曲市のなかの様々な団体が、存続を求めて動きだしました。一二月九日、病院のすぐ近くの上山田文化会館で、千曲市区長会や商工会、老人クラブ、農協、女性団体、薬剤師会、医師会、消防団など千曲市内の一七団体が、「上山田病院の存続を求める千曲市民の会」の設立総会を開きました。総会に引き続き、「上山田病院の存続と強化を求める集会」が開かれ、長野単組が加わっている「長野赤十字上山田病院を存続させる会」も参加し、七〇〇名が参加する決起集会となりました。その日は、氷雨が降るたいへん寒い日でしたが、全国から全日赤の仲間が三〇名を超えて駆けつけ激励しました。病院職員、日本医労連本部と長野県医労連の仲間も多数参加し、元気のでる集会となりました。集会には千曲市長や議会議長、西沢上山田病院院長なども出席しました。院長は「上山田の職員は、医療は続けていきたいと熱い心はもっている。この集会のエネルギーで何かが生まれるような気がする」と挨拶しました。患者さんの代表もあいさつし、病院の存続を訴えました。 これからのたたかい住民集会は成功しましたが、医師確保ができたわけではなく、病院の存続もどうなるかわかりません。存続させる会の代表委員の井沢さんが言うとおり、この集会が出発点であり、これからのたたかいに懸かっています。この地域で上山田病院が果たさなくてはならない役割を明確にすること、上山田病院は長野病院の付属施設だからと医師確保について何の責任も果たそうとしない日赤本社を追及すること、そして厚労省や県や自治体に対する運動が重要です。「存続させる会」の活動を広げながら、地域医療の灯を消さないために、いっそうの奮闘が求められています。
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